そもそもどうして論理力が必要とされているのでしょうか?そのことをまとめる前に,自然言語と人工言語について説明をします.
自然言語とは,私たちが使っている日本語であったり英語であったり,言葉のほとんどがそれに当たります.一方,人工言語は数字や記号やプログラミング言語がそれに当たります.
ここでのポイントは,この2つの言語を見比べると,普段私たちが使っている自然言語が,人工言語に比べて,非常にあいまいな言語であることです.ここでいうあいまいとは,ひとつの単語から2つ以上の意味が読み取れてしまうことを指します.わかりやすいのは「これ・あれ」などの言葉でしょうか.
さて,私たちが普段使っている言葉は,そのようなあいまいな自然言語であるにもかかわらず,他人との会話が成り立っているのはどうしてでしょうか.つまり,2つも3つにも意味が取れてしまうような言語を使っているのにもかかわらず,会話が成り立つのはどうしてでしょうか.よくよく考えると不思議なことです.
その不思議な現象を解決してくるのが,今回のテーマである論理力となります.広辞苑によると論理とは「思考の形式・法則.また,思考の法則的なつながり.」と書かれています.その広辞苑の言葉を借りるならば,話し手は,あいまいな言語の形式や法則を無意識的に考えながら,聞き手に話しかけます.また聞き手は,話し手の文脈のつながりを読み取り,その意図を理解する.このように意思疎通ができるのも,論理力があるからだといえます.
もう少し簡単にするために,小学校低学年の国語の問題を例に考えてみましょう.
問題
「ア,お水 イ,買った ウ,で エ お店 オ を」
アからオまでの単語を並び替えて,意味の通じる文章にしましょう.
と出題されたら
「お店でお水を買った」
と私たちは無意識的に文章にすることができます.これは,一見無意味な言葉の羅列でも,言語の形式や法則,つまり論理力を使って,意味がある文章にすることができたということです.
さて,ここで論理力がどうして必要なのかについてまとめると,結論としては「他者との意思疎通のため論理力が必要.」とすることができます.本来であれば,それほどたいしたことのない結論ですが,現在問題となっているのは,他者の中にAI,つまり人工知能が入ってきたことです.
論理力がなくても,日本人同士なら察してくれることは多々あります.ですが,AI相手に察しの文化を期待するのは原理的に難しい.なぜならば,AIは自然言語ではなく人工言語で動いているから.つまりAIを相手にするときは,今まで以上に論理力を身につけなくては,相手にすらされないことになります.それは,今後の未来において致命傷であるといえます.
では,そんな論理力を鍛えるためにはどうすればよいのでしょうか.それはまた次回まとめさせていただきます.